2/21-24 ハワイ旅行2日目に行った、ポツダム宣言の降伏文書の調印が行われた真珠湾戦艦ミズーリ編です。
ワイキキからはワイキキトロリーPurple Lineの一日乗車券を$25で購入し、ハワイの景色を堪能しながら真珠湾に向かいます。


真珠湾の入口にバス停が有ります。路線バスのバス停と同じ場所です。
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こちらが真珠湾記念史跡の入口です。
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こちらから入場します。
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荷物は持って入れないので、入口右に進んだ所に有る手荷物預かり所で$5を支払って預かって貰います。
お金とスマホはOKだぜ、との事でした。
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ミズーリの入場料は$25.19です。結構しますね。
でも、日本語ガイドツアーは無料で催行されています。
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途中撮影不可のバスで移動しますが、周りは全員白人です。敗戦国の私は肩身の狭い思いで向かいます。
そして到着。降りて直ぐの所には喫煙所も有りました。
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ミズーリに近づき、左に有る階段を使って乗艦します。
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これは艦の最前方ですね。
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写真撮影はしませんでしたが、ここから60~70代位の日本人の方による日本語ガイドツアーで回ります。
日本人ツアー客は午前中に集中するらしく、ツアー客は私一人でした。
船内には色んな戦地で使った砲弾数がかかれており、こちらは湾岸戦争で使った弾数だそうです。
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第二次世界大戦では戦艦大和の撃沈にも加わり、沖縄、東京、室蘭等々、日本を攻撃するのに使われました。
戦後も朝鮮戦争、湾岸戦争で使われました。(到底活躍したとは言えない気分です。)
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こちらは後ろの砲塔です。
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こちらが重光外務大臣がマッカーサーを前にして降伏文書にサインした歴史的な場所です。
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上海にて朝鮮人のテロに会い右足を失った為歩くのも不自由なのにも関わらず、タラップを一生懸命登り背筋をピンと伸ばし調印に向かう重光外務大臣(右のタキシードの人)。戦争回避に奔走した方です。日本を兵糧攻めにして戦争に走らせた狂人フランクリン・ルーズベルトが憎らしい限りです。
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こんなヤンキーの野次馬で超アウェーな雰囲気の中、日本男子として堂々と調印に臨みました。
朝鮮人に爆弾を浴びた時も国歌斉唱中だった為、微動だにしなかった事で右足を失ったそうです。
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左が重光大臣。右が梅津陸軍大将です。
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こちらは神風特攻機がミズーリに命中し、その上半身しか無くなっていた特攻隊員が水葬されるシーンです。
当時の艦長が、捨ててしまえという反対意見を抑えて、勇敢に使命を全うした行為に敬意を表し、手作りの日の丸の旗を作り手厚く水葬したものです。
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こちらが、水葬を行った7名の足跡?です。
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日本語ツアーの後は館内を見て回ります。
こちらはスナックショップ。日本の戦艦にはなさそうですね。
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ポップコーンやらチョコレートが売っていた様です。こういる所でチョコレートを買って焼け野原の日本の子供達に分け与えて居たのでしょうか。日本の戦艦には無いんだろうなあ。どっちが良いのかは分かりませんが。
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図書館も有った様ですね。充実してます。
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水兵の部屋はこんなこんな感じですね。さすがに寝室は超コンパクトですね。
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各自のロッカーが有った様ですね。
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基本は三段ベッドですね。パイプが上段のベッドの上に有りますが、うるさそうですね。外れベッドですね。
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こちらは上官のラウンジですね。
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こちらは上官の食堂ですね。普通の椅子が使われてますね。
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こちらが平民の食堂ですね。椅子付きテーブルですね。
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残念ながら準備中だった「神風特攻隊」展示コーナーです。
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工場の様な調理場です。
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こちらはパン貯蔵庫ですね。
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こちらはドーナツ製造コーナーですね。
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種類も豊富だった様です。虫歯になりそうですね。
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キャリアアドバイザーも居たそうです。日本の戦艦には絶対居なかったでしょうね。
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チーフになると部屋を与えられます。
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先程の3段ベッドの中は鍵付きの収納ケースになってました。
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こんな感じです。こんな所に閉じ込められていたら、ストレス溜まるでしょうね。
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偉い人は普通のベッドに寝る事が出来ます。
狭いですが、年寄りにはこれ位の余裕は必要ですね。
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副艦長レベルになるとシャワー付きになりますが、シャワー付きの部屋は殆ど有りません。
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これも艦長か副艦長クラスの部屋です。
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各部門の部門長は個室になりますが、窓有りと窓無しの部屋が有ります。
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ちょっとランクが下がると二段ベッドになります。
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こちらは上官専用のトイレとシャワールームです。
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こんな応接ルームも有りますね。
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このガイドツアーのオッサン、俺が部屋に居るのにJap、Japsと、差別ワードを連呼して説明してました。
いやはや、アウェーです。実際黄色人種の見学者は2人しか見ませんでしたし。
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最後にここをテクテク登りました。
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監視所ですね。
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最後に船の上の方から下界を撮って見ました。
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太平洋戦争は、それまで親交の深かったアメリカの大統領がフランクリンルーズベルトに替わり、奴が第二次世界大戦に参戦したいが為に、奴の政策により日本は原油を断たれ、経済的に追い詰められた事を打開する為に、ここ真珠湾でバレバレの奇襲攻撃を行った事から始まりました。当時ルーズベルトは真珠湾攻撃の一報を聞いて、歓喜の声を上げたと言います。

更に彼は、ドイツとの戦争を終えたチャーチルが日本の条件付き降伏を認めようと提案したのを一蹴したそうです。そして死ぬ前のヤルタ会談では北海道のソ連による占領を認めていたそうです。本当に終戦前に死んでくれて良かった。

アメリカは今も自分の言う事を聞かないイランやシリアに対して、同じ様な圧力をかけて挑発してますが、本当に懲りないですよね。かと言って、日本としては二度と苛められない様にアメリカに従属するしか選択肢は無いのですけどね。

色々と考えさせられる観光でした。

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